京都、八坂通の京料理、割烹 祇園 さゝ木

印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

必要とされる存在であり続けるには

対談:佐々木 浩 × 裏井紳介
(ウライ株式会社 代表取締役会長)

佐々木浩が、各界の著名人を迎えて対談を繰り広げるシリーズ「人に味あり 味に人あり」。
第6回目のゲストは、「きもの」をはじめ、ジュエリー・ファッションの専門商社
「ウライ株式会社」代表取締役会長 裏井紳介さん。
着物卸業で唯一、JASDAQ上場企業であり、その中心人物である裏井会長。
「時代の流れを読む」ことの重要性、さらには、愛される料理屋で在り続けるには…?
といったテーマについて対談が繰り広げられました。


裏井(以下、裏):佐々木さんが「先斗町 ふじ田」で料理長をしていた頃でしたね。私と佐々木さんとの出会いは。

佐々木(以下、佐):あの頃から20年以上、裏井さんには本当にお世話になっています。

裏:私は佐々木さんの純然たるファンですから。でも、愛される店であり続けることは、本当に大変だと思います。私は団塊の世代でね。子どもの頃は、四六時中お腹が空いていて、食べることができれば良い時代でした。それが高度経済成長期とともに、社会が豊かになり、贅沢なものや美味しい料理がどんどん増えました。今や、美味しいは当たり前。どんな空間で、誰と食べるのか、サービスはどうか。そのなかに料理があると思うのです。

佐:仰る通りです。お客さんの「美味しい!いや、楽しかった!」という言葉が一番嬉しいですし、それには料理はもちろん、シチュエーションがひじょうに重要です。

料理屋は“恋人”でなければ。

裏:私が京都を語るときに使う言葉があります。「京都とは、世界の恋人」。要するに、皆が憧れる街なのです。その京都と結婚し、「女房」にしているのは我々、京都人です。恋人だと綺麗でいいところしか見ません。でも女房の場合は、寝間着姿もスッピンも見ないといけない(笑)。その点で、料理屋さんのお料理は、女房の料理ではあきません。永遠の恋人、かつ憧れの存在であり続けてほしいのです。食べ手の期待度を100点とした場合、101点やったらお客さんは満足して帰ります。でも、95点が1度あったら「イマイチやな」となる。それが3度続いたら、お客さんは店から離れると思います。

佐:本当にそうです。ウチの店では、スタッフが少しでもミスをした時は、営業後のミーティングで全員集合させます。「お前な、今日はなんでここで、こうなったんや!」と、その日に反省点、改善点をスタッフ全員で共有します。その際、いつも言うのは、「100引く1は99。でも、料理人やサービスの人間は、100引く1は“ゼロ”やで」と。何かひとつでも失敗したら、お客さんは店へ来られなくなる、と常に言い聞かせています。

裏:お客さんはね、訪れるたびに期待度がどんどん高まっていきますから。それに対していかに満足させるか、というのはひじょうに難しいと思います。

佐:僕の店は、18時30分の一斉スタートにさせて頂いているので、遠方から来て頂くお客さんには大変なことだと思います。会社員の方のなかには、午後から半休をされてでもお見えになる方もいらっしゃいます。社長さんは別として(笑)。もし、時間に関係なくお客さんにお越し頂ける店にした場合、集中力が欠け、スタッフがだらだらと仕事をしてしまうのは絶対に良くない。人間が集中できるのは2時間半、というのが僕の信条。

ですから、スタッフには限られたこの2時間半に、とにかく思いっきり頑張れと伝えます。さらには、「逃げ馬」という考えがあります。お客さんが追いついたら、飽きられる。ですから先頭に出て、逃げ切り続けることで、飽きられないようにする。これがひじょうに大事。

裏:京都の料理屋さんを見ていると、30代など若いうちに独立される方もいらっしゃいます。さらに佐々木さんは、次の世代も育てていかないといけませんから。その先頭を走り続けておられるのは、いろんな苦労があると思います。

佐:でも、嬉しいこともありますよ。じつは、僕の店から巣立った弟子が5人いるのですが、お客さんから「あの店は予約が取れないから、大将から予約してもらえないか?」と言われることが多いのです。それって、めちゃくちゃ嬉しいし、「ああ、頑張っているんやなぁ」と間接的に感じます。

大将の心意気が、客の心を掴む

裏:それは、弟子たちが“佐々木イズム”を受け継ぎながら、個々で努力をされているからでしょう。私は、2014年の6月末に会長となりました。毎年6月に、京都市内の見本市会館で、きもの・ジュエリー・ファッション展示会「れいせん展」を3日間開催します。今年は社長としての最後の展示会でしたから、「祇園さゝ木」のおじゃこの炊いたんをお持ち帰り頂きたいと考えました。でも、お客さんは3日間でのべ1200人来られます。佐々木さんに「おじゃこを作って頂くことできる?」と電話をしましたよね。数日待ってください、と言われるのかと思いきや、「う〜ん・・・、やります!」と。30秒ほど考えて即答し、3日間で1200箱のおじゃこを炊き上げてくれた。佐々木さんも若いスタッフたちも大変苦労されたと思います。あの心意気には心底感動しましたね。
佐:僕が雇われ料理長の頃から、裏井会長とはお付き合いさせて頂いていますから。「無理です」とは意地でも言えません(笑)。

裏:意地のある料理人って、そうそういませんよ。それに佐々木さんは、若い頃から人間的に丸い部分と、すごく尖ったところをうまく共有している大変面白い料理人でした。そんな佐々木さんが作る料理に惹かれるのはもちろん、いつも私に元気をくれるから、また会いに行きたくなる。時代を越えても愛され続ける店、というのは行き着くところ「人」なのです。

佐:裏井さんの業界の場合、時代を越えても必要とされるために努力されていることはありますか。

裏:自慢ではないのですが、弊社は京都のきもの業界唯一の上場会社です。日本中で作られるきものの7%のシェアを持っています。きものも料理とよく似たところがありましてね。昭和40年代は、量もよく出て売れました。当時と今の生産量を比較すると、今は20分の1。あの頃はきものが制服だったのです。入学式や卒業式となると無地のきものと黒い羽織を着ないといけなかった。ですから昔と今では、着物の見方が全く違います。これって料理も同じことが言えます。昔は「あそこは安くて量もある」というのが一般的でしたが、今は「食べたことがないものを味わいたい」というように、量より質の時代に変わってきました。ですからきものの場合、生産量は減るけれども、質が高いものを作っていれば、それをいいと分かってくださるお客さんに買って頂けます。

佐:裏井さんはすごく若くして、社長さんになられたんですよね。

裏:39歳のときでした。父から会社を受け継いだのですが、仕事が嫌でね。社長なのに、月曜はブルーマンデーなんです(笑)。こんなに仕事が嫌いやったら、従業員も同じ考えだろうなと思い。それなら楽しいと思える仕事をしようと考えました。まず休みの日を増やしましたね。また、当時、坂東八十助さん(のちの坂東三津五郎さん)と知り合うきっかけがあり、20年前に業界で初めて、歌舞伎とコラボレーションをしたきものを作ったのです。社長になって初めての社員旅行は、開業したばかりの「東京ドーム」でのソフトボール大会。あの頃、社員募集のタイトルに「東京ドームでソフトボール大会をしました。こんな会社にいっちょかみしませんか?」と出したら、翌年、会社説明会に入りきらないくらいの新卒予定の方々が来られたのです。“いかに会社を面白く、仕事を楽しくするか?”に、今なお徹しています。

守り続け、次世代へと受け継ぐこと

佐:生意気な質問をしますけれど。これから、きもの業界はどのように展開するのでしょう? 料理屋も同じで、僕も節目が来ているなと。その点を、裏井さんは会長になられてからどうお考えですか?

裏:女性がきものを着られたら、3割くらいはべっぴんさんに見えますよね(笑)。この事実が残っている間は、生産量は増えないけれど、きものはすたれないと思っています。なぜなら、この業界に新規参入は全くなく、ライバルが減る一方だからです。ただ、一番困るのは作る人がいないこと。きものの図案を描いたり、染める人は多くいらっしゃるのですが、「蒸し」と「水洗」を行う人が減る一方です。「蒸し」とは、染料をシルクなど生地に定着させるために蒸気を使い蒸し上げること。そして蒸しが終わったら、次は「水洗」。友禅流しです。生地に残留している余分な染料や糊などを洗い流します。これらの作業は目立たず、ひじょうに重労働。悲しいかな、国内でその作業を行う会社は2社しかなく、中国でもやり手がいません。ですから、きものの仕立ても含め、今はベトナムで行われることも多い。ベトナムは若い女性が作業をするから、仕上りは綺麗です。でも、きものを売るとなると「ベトナムの仕立てはこれくらいの価格で、日本での仕立てはこれくらいします」と、しっかりご説明をさせて頂きます。

佐:なり手がいないのですね。料理業界も同じです。たとえばお米を作る生産者は、兼業農家が多いですし、父が農家でも息子は企業勤めといったパターンもよくあります。僕らは食材がなかったら料理が作れません。ですから、これからどのようにして次の世代、また次の世代へと食文化を受け継いでいくのかが、ひじょうに重要な課題やと思います。

裏:それこそ、必要とされ続ける料理人の証です。佐々木さんの心意気と技を、次の世代へ繋げつつ、これからもずっと、僕たちを楽しませてください。応援していますよ。

取材日:2014年 8月14日