京都、八坂通の京料理、割烹 祇園 さゝ木

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ものづくりの立場から考える
新しい価値観とは

対談:佐々木 浩×長艸敏明氏

佐々木浩が、各界の著名人を迎えて対談を繰り広げる、シリーズ「人に味あり 味に人あり」。
第3回目は、京繍伝統工芸士であり刺繍作家・着物デザイナーとしても活躍されている長艸敏明さん。
能や茶道、和歌などに通じ、京都の洗練された文化の中から唯一無二の作品を数々生みだす長艸さん。
一針一針丁寧に繍いこまれたその手仕事は、今や世界の人々を魅了しており、佐々木浩もそのひとりです。
日本の文化や言葉の重要性から、ものづくりの発想に至るまで、作り手同士の創造性をめぐる話題が繰り広げられました。


ふたりの異端児


佐々木(以下、佐):京繍伝統工芸士であり、刺繍作家・着物デザイナーでもある長艸さんは、伝統ある京縫の世界の革新者。いい意味で、異端児ですよね。

長艸(以下、長):問屋さんから一切手を引ききましたからね。卸売など流通が関わると、小売価格が決められます。
例えば、ある着物を100万円で売りたいとしましょう。仲介業者がいくつもあるため、製造元が取れたとしても良くて25万円、普通でもそれ以下です。そうすると、いい材料を使って作りたいのに…という自分の思いもあり、悶々としてしまうのです。

佐:長艸さんの代に流通のシステムを変えられたのですか?

長:そうです、30年くらい前でしたか。織物問屋や呉服屋業界の景気が悪くなり、
手形の決済期限が延びたり支払が遅れたり、様々なことが起こりました。
そこで、作り手である私が、消費者に直接販売をすることができないかと、考えるようになりました。そうなると、たんに単物を染めたり刺繍をするだけでなく、着物の形にして、手入れも行い、汚れたら直さないといけない。要するに、呉服屋であり生産者でもある、ということを始めたのです。そのシステムを考え、実践するのに10年はかかりました。

佐:回りから反対されるなど、大変だったでしょう。

長:もちろんです。でも、苦難を乗り越えてきましたから、当時のシステムには戻れません。
その後も、問屋制度は無くなりはしませんが、変わってきていることは確かです。
佐々木さんも、私と共通点があるでしょう。
コース1本のみで展開したり、カウンターでの食事は一斉スタートにするなど。
今でこそ、そのようなスタイルの店も増えましたが、当時、京料理の世界ではやっていなかったことに挑戦した、
まさに京料理界の異端児(笑)。



佐:じつは、旅館での修業時代は、カウンターで調理をするのが嫌だったのです。お客様と接することのない厨房で仕事をしていて、それが当たり前でしたから。でも、ある割烹店で初めてカウンターに立った時、お客さんと接する喜びにハマッてしまったのです。長艸さんが来店された時も、たとえそこがカウンターであってもテーブル席であっても、ちょろちょろ顔を出すでしょう。人と接することで、様々な感情のキャッチボールができます。一度味を占めたらやめられません。

長:お客様の声が聞こえるというのは、作り手にとって本当に楽しいですよね。それは僕の仕事にもいえます。着物というのは、何で欲しいのかという目的が、お客様それぞれにあります。たとえ、何でもいいから欲しいという人でも、買ったという満足感があり、着たときの喜びもある。また、彼氏や旦那と一緒に歩きたいといって購入される方など、目的意識は十人十色。ですから我々は、どのような目的を持っている人に、どうきちっと提供できるかを日々、考えなければならない。「着る人の声が聞こえる着物作り」、これは本当に楽しいのです。

日本古来の言葉と文化を学ぶ

長:佐々木さんも、食事をされるお客様の目や態度をみると、その方の感覚というのがジンジン伝わるのでは? それが料理人にとっても、パワーになりますよね。我々も一緒です。能をはじめとする舞台人の場合、「あなたの衣装に助けられている」と言われるのが一番有り難いです。衣装というのは主役に対して主従関係の「従」。ですから、主をどうやって引き立たせるのかというのが私の使命です。いっぽう、佐々木さんは「どのようにしたら、おいしい料理を作れるか?」を、寝ても覚めても考えておられる。私の場合、個人のお名前が分かってくると、肌の色、目の色、背の高さ、細い、痩せている…など、その全てを考えながら作らせてもらいます。例えば、「静かな雨が振っているときに、番傘で彼氏の横にすっと立ちたいんです」なんて言われたら、ひじょうに想像力が広がるのです。

佐:京料理も着物も、自然の移り変わりを、敏感に捉えないといけませんし。

長:そうなのです。一年は二十四節気あり、それを細かく分けていく。例えば、桜の花が咲いたとき、満開のとき、散るとき、散りそめ、葉桜。それぞれの時季により、着物も変わります。着物というのは、「言わず語り」ですから、着物姿を見ただけで「この人はこういうことを言いたいんだな」というのを、そこはかとなく見せるのがいいのです。

佐:深いお言葉です。そのために長艸さんは、お茶をはじめ、能などの舞台や俳句に至るまで、習い事をたくさんされているのですか。

長:日本の文化って、言葉が沢山あります。でも、昔からある日本語を知らない若い人が、今の時代、多いと思うのです。例えば、和歌で出てくる「幽く(かそけく)」※1など。要するに、能楽・禅・連歌・茶道・俳諧などに影響を与えている「幽玄」の世界には、死者がいる「黄泉(よみ)」の世界から、こちらの「うつし世」の世界まで、あらゆる言葉があります。日本人はジェスチャーが下手というのは、昔から日本語がたくさんあったからでしょう。その言葉を知ることにより、こういう言い回し方ができるのか、といった発見がじつに楽しい。そのためには、リズムも覚えていかないといけません。例えば三味線には「間」があります。長い「間」が、どれくらいの「間」なのか、という感覚的なものがあります。それって、ものすごい熟練のいる技術であることは確かです。

佐:それら日本の文化を、ご自身の仕事に昇華されているのですね。

長:最近ですと、京都祇園祭の8年事業の復元・新調の仕事があります。江戸時代・嘉永2年の文化財ですから、それはもう大変なプレッシャーです。何が困るって、160年前に使われていた和紙や糸、木綿、麻、絹などの原材料が、今のそれとは全く違うのです。また、どのようにして糸ができているのか、縫っているのかが分からないのです。ウチの工房には、歴戦の勇士たちがいますが、皆、口を揃えて「分からない」と。そうすると、江戸後期は、どんな時代だったか? 何を食べていて、何を着ていたのか? どのような和紙があったのかなど、160年前の歴史を紐解いていかなければなりません。そうして、まずは「紙縒り」※2を作ります。撚る真綿はきれいなものではなく、少々ぺちゃっとした真綿がいい。なぜなら、何枚か重ねると厚みが出ますし、針がよく通るのです。この、紙縒りを撚るのが本当に難しい。要するに、刺繍以外のことに大半の時間が取られます。私はそのようなことを、延々と8年も続けています。ですから、「祇園 さゝ木」へおじゃまして、おいしい料理を頂いてホッとするのが、毎月の楽しみなのです。料理のバランス、そしてリズムなどをもって「この料理、上手いことやってるな」と思うのです。すると、また明日から頑張ろうと、力が漲る。歴史には、分からないことが多すぎます。我々は、もっと日本の文化を勉強しないといけないし、昔のやり方を知っていないといけない。僕はこの歳になって、時間が欲しいなと思い始めたのはそういう理由からなのです。

佐:素晴らしい話ですね。本当に勉強になります。

「料理をする」とは?


長:京料理と似ていると思いますよ。「祇園 さゝ木」に来られるお客様は、舌が肥えている方たちばかりでしょう。そんなお客さんを満足させようと思うと、いろんなことを知ってないといけない。どこ産の野菜や魚、だけやったら済まないでしょう。「料理」ってすごくいい言葉だと思います。どういう風にして素材と向き合い、料理し、新しい芸術に仕立て上げるか?

佐:仰ること、よく分かります。料理をしないとダメなのです。食材を器に盛るだけというのは「料理屋」の料理じゃない。そこでもうひと捻りが必要なのです。でも、上質な甘鯛が入って、塩を施して焼くのは料理なのか? これは本当に難しいところです。

長:そうでしょうね。でも、「いかに材料の良さを純粋に見せたいか」という紆余曲折を経て、佐々木さんはそこに辿り着くのでしょう。「十牛図」の禅の話じゃないけれど、何もない無とは違うのです。佐々木さんが言っていることは、経験を積み重ねたうえで試行錯誤した結果、甘鯛に関しては塩をして焼いたただけでいいという結論に達した。また、同じ甘鯛でも昆布締めがいい、などその時々でアプローチの方法は違う。それは、佐々木さんの引き出しの多さと、出し入れによるものです。また、優れた材料を見極めて仕入れるのも、その人の力量だと思います。ものの値打ちを分かってないと、目利きはできないわけで。お造りひとつをとっても、同じ材料でも、僕が切るのと佐々木さんが切るのとでは全く違うものになるでしょう。切ることだけで料理になるというのはおそらく、日本料理にしかないですよね。

佐:切るって本当に難しいんです。魚の種類によって、切る角度や切り身の大きさも全く違いますから。この甘鯛なら、この切り方のほうが食感がいい、などを瞬時に見極めます。それも料理なのだと思います。

長:寿司を握るのと一緒ですね。

佐:それはもう寿司屋の料理です。ぱっとシャリを握った瞬間に米粒が160粒入っていて、空気を含ませながら握るとか。例えば、鯛と、穴子、タコでは握り方も異なります。

長:それが熟練の技。そういうことって西洋料理や中国料理にはあるのですか?

佐:僕は、西洋料理の要は「火入れ」だと思います。また、中国料理は「蒸す」だけでもあらゆる手法があります。

長:日本料理はもちろん、西洋や中国に関しても、技術がそれだけ多岐に渡っているというのは、その土地に文化があり、それが分かる人間がいるからでしょう。日本料理というのは、建築や設えもひっくるめて、主の思考を張り巡らしている。「祇園 さゝ木」が普通の家やったら具合が悪いわけで。そのような発想はどこからくるのでしょう?

クリエイターであり続けるために。


佐:ウチの店ですか? 90年前に建てられた日本家屋です。2階には、35年間残していた土壁を使い、塗り直した和室があります。でも僕は一代目ですから、歴史がありません。例えば「瓢亭」さんは、400年の歴史があります。「くずや(茶室)」までの細い路は、ビロードのような苔で覆われ、本当に美しい。何百年も経ったからこその佇まいを、僕が真似しようとしてもできません。それなら今の発想でと、モダンな要素も取り入れました。カウンターの場合、白の皿で料理を供したら、フランス料理屋だってできると思うのです。歴史に育まれた設えを作ることはできないので、逆の発想を取り入れたのです。

長:日本料理でありモダン。その考え、よく分かります。着物にも通ずるところがありますよ。例えば、10年前の自分の作品を見ると、古くさいと感じる。でも、斬新な着物が売れるのか? というとそうでもない。なぜなら、お客さんにとっては新しすぎるのです。要するに、バランスがひじょうに大事。

佐:流行とそのバランスって、料理にもいえること。先日、料理長になった24年前の献立を見直しました。「よくもまぁ、こんなにバランスの悪い献立で、お客さんが来てくださっていたな」いうレベルの献立を書いてました。それがあるからこそ、今があると思うのですが(笑)。たまに古い仕事を引っ張り出してきてアレンジをしたら、今の料理になるときもある。

長:立ち戻ることもひじょうに大事ですし、逆に先に行き過ぎていてもいけない。1歩とか半歩先くらいのほうがお客様は楽しんでくださるのです。「このお着物、素敵ですね」とお客様が仰る着物であっても、私の心のなかでは「コレ、実は3年前に試みた刺繍なんだけれど。今売れるんや」って(笑)。

佐:それは前を走っている人間が感じることですね。

長:クリエイターというのはそういうものでしょう。佐々木さんも、新しい価値観をもつ料理人でありクリエイターです。これからも私にどんどん刺激を与えてください。

取材日:2013年5月24日


(※1)幽く(かそけく)…色・光・音がかすかで今にも消えそうなこと。
(※2)紙縒り…細く切った紙をひねってひも状にしたもの。

(ショップ情報)
繍工房長艸 HP
http://www.nagakusa.jp/