京都、八坂通の京料理、割烹 祇園 さゝ木

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“呼吸する土鍋”に
「特化」したものづくり。

対談:佐々木浩×中川一辺陶(雲井窯 九代目当主)

佐々木浩が、各界の著名人を迎えて対談を繰り広げる、シリーズ「人に味あり 味に人あり」。
第2回目は、滋賀・信楽「雲井窯」の九代目当主・中川一辺陶さん。
日本を代表する、信楽土鍋の第一人者です。その作品は、プロの「道具」として
名料亭や名割烹、旅館や高級ホテルなど、全国各地の料理人が愛用しており、
「祇園 さヽ木」でも欠かすことができません。
日本ならではの文化、そして京料理の文化の継承について
ふたりの「造り手」による、熱いトークが繰り広げられました。


佐々木(以下、佐):僕と中川さんとの出会いは確か10数年前。
家内と中川さんの弟さんが同級生で、その繋がりで初めて工房に
おじゃましました。

中川(以下、中):そして私が初めて「祇園 さヽ木」におじゃましたのは、
まだ祇園の末吉町に店を構えていた時ですね。

佐:土鍋を使わせてもらったのも、その頃です。ウチの店では昼も夜も
土鍋を使いますから、1年に約300日×10年も、持ちこたえてくれたのが、
中川さんの土鍋です。

中:自負しますけれど、本当に長持ちしますからね。私が作らせてもらって
いる土鍋は、料理屋さんで使われる場合、たいたい4〜5年は持ちます。
だから、10年も持つとは素晴らしいですよ。

佐:割れない鍋ですから、言い方は悪いのですが、元が取れたなと(笑)。
逆に、どんどん愛着が湧いてきますよ。ところで、土鍋だけに特化した
ものづくりは中川さんの代からと、以前伺いましたが。

中:そうです。私で九代目になるのですが、「雲井窯」は1765年に京都・伏見稲荷の門前で創業しました。第二次世界大戦後、都落ちのような形で、信楽の山里に窯を移築し現在に至ります。師匠である親父の代まではお茶碗やお皿なども作っていました。私は親父から、焼き物づくりのノウハウを学びました。大学を卒業した頃、信楽の老舗窯元が土鍋を作られなくなるから一度作ってみないかと、ある方に言われ、土鍋作りをスタートしたのです。今から約35年前、土鍋作りに専念し始めた頃から、スッポン鍋では日本一の名店、京都「大市」さんに、いろんな土でできた、様々な形の土鍋を納めさせてもらいました。店主の堀井真澄さんは、私の土鍋づくりの原点といっても過言ではないです。スッポン鍋の熱源はコークス。醤油や酒とともに1600℃という高温で一気に炊き上げるから、超高温の火力に耐える、強い土鍋でないといけない。しかし、「強い」だけじゃアカンのです。土鍋には吸水性があるので、スッポンのダシ、要するに旨みがいい具合に染み込む鍋でないといけません。結局、自分自身が納得する土鍋が完成するまでに10年以上かかりましたよ。でも、有り難かったのは、堀井さんはご自身が理想とする土鍋じゃなくても、購入してくださいました。そうして何とか“呼吸する鍋”の完成にこぎ着けたのです。堀井さんはよく「スッポン鍋の味を出すには、食材の質5割、土鍋の質5割」と言うてはります。一つの鍋に酒一斗を使って味を馴染ませ、三ヶ月の試用期間をかけるそうで。何度も使い込まれてようやく、一人前の鍋に完成するのです。

佐:中川さんが作られる土鍋は、使い込むほどに調子が良くなるというか、馴染んできます。例えばご飯を炊く場合、最初は取って付けたようなおこげしかできないのですが、徐々にきれいで自然なおこげができるようになります。そして、万が一、土鍋が割れても修理ができるというのには驚きました。

中:別注で丈夫に作らせてもらっている佐々木さんの鍋だからこそ、修理が出来るのです。

佐:修理ができる土鍋って、すごいですよ。僕が97年に独立した当時、ある窯元の土鍋を使っていたのですが、ひじょうに高価で、割れやすいものでした。その頃、中川さんと出会い「オリジナルを作りましょう」ということになったんですよね。嬉しかったなぁ。

使い込むうちに成長する、
オーダーメイドの土鍋

中:数多くの料理屋さんで、ウチの土鍋を使ってもらっているのですが、被りを避けたいのですよね。ですから、その店の料理の特徴や雰囲気をふまえつつ、私のほうである程度、方向付けをさせてもらいます。でも、焼き上がった鍋は、窯を出た時はまだ半人前。料理屋さんに納める際に「この時点では、まだ未完成だ」と伝えます。なぜなら、私が作る土鍋は、使い込む鍋ですから。店それぞれに、火床の炎の強さや、ダシの染み込み方があります。ですから、何度も使い込まれてようやく、その店ならではの土鍋に成長します。そこで割れたらアカンのです。プロの料理人の使用に耐える、丈夫で美しいかたちの土鍋でないといけない。私が作る土鍋は、例えば通常市販されている鍋を長いこと使い込んで割れる頃から、調子がよくなります。いいダシを毎日いっぱい吸わすと、徐々に馴染んでくる。すると手離せないようになるのです。でも、私は営業が下手で、営業マンもいませんから、ただ注文くださるのをずっと待っているだけなのですが(笑)。

佐:いえいえ、料理人からは引っ張りだこでしょう。06年に、建仁寺へ店を移転してピザ窯を置いたときも、「ピザ窯に合う土鍋を作ってほしい」と、中川さんに相談させてもらいました。すると、すごくいいアドバイスをたくさん頂けたのです。例えば「窯の底に中ゲス(仕切板)を置いたら、下から燻煙香がくる」など。年齢のうえでは先輩ですが、本当に素晴らしいパートナーだなと思っています。ちなみにピザ窯用の鍋は、中川さんにすべてお任せでしたよね。

中:あの鍋の開発には往生しましたよ。ピッツエリアに窯は当たり前ですが、当時、和食とピザ窯という組合せは全くなかったですから。まず窯の奥行きや幅、アーチのサイズを聞き、その中に入る鍋を考えました。ピザ窯の熱の伝わり方は、ガス火のように下からではないので、鍋の厚みをどうすべきか。そして17席のカウンターがありますから、その人数分の鍋を一気にピザ窯に入れないといけない。さらには、窯から出しやすくするには取っ手も必要。お客様の前にちょうどいい具合に置けるにはどうすべきかなど、とにかく試行錯誤しましたね。だって、聞きに行くところもないんですから。そして、これやと思う鍋を作らせてもらって、次は佐々木さんのほうで試運転です。僕も苦労したけれど、佐々木さんも同じなのでは?

佐:ピザ窯は奥が深いですよ。でも、何でも焼けるし本当に面白いです。

中:簡単に言いはるけど、佐々木さんの素晴らしいところは、お客さんに供するまでに何度も反復をすること。スタッフと一緒に、休憩時間に試作を繰り返している。とくにピザ窯なんて、プロでもピッツァを焼き損なうのですから。お客さんは、食事のわずか3時間弱をみて「うぁ〜」って言いはるけれど、その裏側は本当に大変だと思います。

佐:まぁそれが僕の仕事ですから。中川さんは、ご飯を炊く土鍋や、ウチのピザ窯に合う鍋だけでなく、一人用の小鍋も、すごくいいものを作られていますよね。鍋に見えない美しさと頑丈さを持ち合わせています。

中:あの小さい鍋、割れないでしょう。それでも5年くらいで、リピートのお客さんが来られる場合も。そんなに早く来られると、私自身、情けないですよ。昔はね、ウチの窯に何人も作る人間がいたのですが、土鍋作りを突き詰めていくとだんだん譲れないように。ですから今は、作る人間が限られていて、時間を頂戴することも多いです。

佐:中川さんの土鍋を使いたいという料理人は本当に多いです。以前、あるTV局の料理番組でご飯をテーマにした特集があり、出演しました。その際、土鍋を3つくらい持ち込んで調理をおこないました。OA後に、視聴者から問合せが続々と。面白いことに「あの炊き方はどうするんですか?」ではなく、「あの鍋はどこに売ってるんですか?」ばかり(笑)。反響が凄かったです。ところで、中川さんにひとつ聞きたかったことがあるんです。僕の場合、調理をするときはガスの炎ありきなのですが、時代の流れもあり、電磁調理器に移行するお店も多いですよね。中川さんは電磁調理器に対応した土鍋も作られているじゃないですか。その場合、時代の流れに応じたものを作らないといけないという考えなのか、どういう思いで作られているのでしょう。

中:正直なところ、必要とされている人がいらっしゃる限り、作らないといけないというのが持論です。じつは電磁調理器対応の土鍋の開発には、家一軒分の費用がかかりました。きっかけは、あるホテルの高層階に入った和食店とのお仕事。客席はすべて電磁調理器だったのです。高層階の飲食店となると、消防法の兼ね合いでガスが使えないところもあります。これは、私にとっても死活問題だと感じ、研究を積み重ねました。そして5年前、ガスと電磁調理器の両方に対応する土鍋が完成しました。この土鍋は窯に7回入れます。分かりやすくいえば、具がたくさん入っているサンドイッチと同じです。土鍋の両端は粘土なのですが、粘土と粘土の間に、発熱体に近い材料を順番に焼き付けていき、中心部に金属でできた発熱体を入れます。炎にも電磁調理にも対応する土鍋は、世界初の開発でした。

佐:お客様に求められているからには、それ以上のものを提供しないといけない。その考えには共感します。

中:僕自身は、歳がいけばいくほど、囲炉裏とか、暖炉の上でスープ作るといった、ガスが誕生する前の炎がある生活に戻りたいなと思うんですけれど。

佐:中川さんの工房は、まさにそのシチュエーションですよね。

チームに必要なものとは
基礎レベルの高さと
報告・連絡・相談


佐:とこで、「雲井窯」は今、何人体制で土鍋作りをおこなっているのですか?

中:現在、スタッフは11人。うち弟子は6人です。土鍋作りは、完全なチームプレーです。何の仕事にも言えることですが、とにかく「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」が重要。弟子たちにはそれを知ってもらわないと、失敗の連続となる。例えば、工房内に暖房を入れると土鍋の片方だけが乾く場合があるのです。ですから均一に乾かすためには、土鍋の位置を変えるのか、何かを被せるのか、鍋の状態の変化に気付いた時点で、すぐ連絡してもらわないと。出来上がりに影響しますから。

佐:でも、中川さんの工房では、ひとりひとりが轆轤の前に座って仕事していますよね。どうやって結束しておられるのですか?

中:1週間に1回はミーティングをして予定や役割、責任を分担します。それでだいたいはいけます。ところでウチの採用試験は、すごく厳しいですよ。伝統工芸師の資格を取るための試験の、少し手前くらいのレベルです。そこでまず、選別をさせてもらう。その後、すぐに実践とはいきませんが、ある一定以上のレベルから積み上げると飲み込みも上達も早いのです。

佐:なるほど。入社試験のハードルを高くすると、新人のスタートラインも違うということですか。ウチでも実践してみようかな(笑)。

中:料理人さんも同じですが、昔は丁稚奉公という見習い修業がありました。あのシステムが成り立っていたのは、時間の流れがゆっくりしていた時代だったからです。料理屋の場合ですと、当時、ランチはなく夜の営業のみ。だから昼間はずっと勉強できていた。私たちの業界でも、薪を焼べる、火を熾す、そして登り窯の火加減などを、ゆるやかな時間のなかで覚えられた。作陶に関しても、教えてもらう時間がたくさんありました。しかし、現代の社会にそういう余裕は全くないですよね。ですからある程度、大学の専門学部で技術を身につけた人を採用することになるのです。

佐:まさにレベルの高い人たちの集団ですね。そんななか、土鍋作りで最も重要なこととって何でしょう。

中:ずばり土の管理です。ウチでは、土を練った状態で半年は寝かせます。僕なりの結論ですが、信楽の山奥で焼いているというのが良かったのです。なぜなら、井戸水など天然の水で練ると、粘度の粘りが全く違う。天然の水のなかに潜むいいバクテリアが土に粘り気をもたせてくれるのです。粘りがあるということは、土鍋の均一性が図りやすく、乾燥とともにうまいこと、同じ密度で縮みます。都会のカルキ入りの殺菌された水だと、こうはならない。ですから私は、山の中でしか土鍋作りはできません。でも時代は変化し、昨今は焼き物自体が売れるような時代ではないですよね。

佐:中川さんのところは別だと思いますが(笑)。でも、実感するところはあります。

日本独自の食文化
衰退の危惧


佐:お客様は、美味しい、美味しくないと、ある程度の判断はされると思うのですが、器の使い方がなってない方もたまにおられるのです。昨日、関東から料理人が食事に来られました。出来上がったばかりの椀で料理をお出ししたところ、椀の文様をお箸で突くんです。「何すんねん!!」って言いたかったのですが、じっと堪えましたよ。彼らは数千円の漆器としか思ってないのでしょう。分かっていない以前に、そもそも基準がないというか。それは寂しいなと思います。

中:和食そのものだって、同じことが言えると思います。本当の日本の味を分かっている日本人が、ものすごいスピードで減ってきているのではないでしょうか。先日、昆布の老舗「奥井海生堂」の奥井隆社長とも話していたのですが、昆布の市場も減少してきているそうです。例えば、有次さんの庖丁のように、外国人がある程度興味を示し、日本に逆輸入をすればすごく効果があると思います。いずれにせよ、日本人がもっと日本の文化の素晴らしさを大事にしないとあきません。佐々木さんは、そのことを気付かせるキーパーソンですよ。先頭を切ってやられているから、敬意を表します。

佐:日本料理界としては、やはり京都が先頭に立つべきでしょう。そうならないと、地方の人に迷いが生じ、結果、安くて旨い店ばかりが日本国内に増え続けるのです。ところで、和食の審査や店の批判批評などは、必ず東京で行われます。でも、まずは京都へ出てきて評価して頂きたいですね。京都だけでしょう。何代も続く漆器屋さん、器屋さん、襖屋さんや瓦屋さんなどがあり、そこではじめて京料理という文化が構成されているのです。要するに、京都には「使う人」と「作る人」が遥か昔から存在しているのです。

中:京都はお客さんもシビアですからね。

佐:ミシュランにも左右されずにね。その点で、東京は流れが早いです。5年も経てば、そこにあるお店がどうなっているのか分からないですから。その点、京都には何十代目と続く老舗があり、その文化が京都の根底にある。そのことを伝え続けないと、日本料理をはじめとする日本ならではの文化は廃れる一方なのです。僕は、料理人の立場としてその文化を守り、発信し続けたいと考えます。

取材日:2013年2月19日




(ショップ情報)
中川一辺陶 | 信楽雲井窯土鍋・御飯鍋などこだわりの逸品
http://www.kumoi.jp