京都、八坂通の京料理、割烹 祇園 さゝ木

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佐々木浩×霊源院(れいげんいん)住職「雲林院 宗碩(うんりんいん そうせき)

京都最古の禅宗寺院として名高い建仁寺。その境内南東に、
建仁寺の塔頭(たっちゅう ※1)寺院 、「霊源院(れいげんいん)」があります。
佐々木浩が、各界の著名人を迎えて対談を繰り広げるシリーズ「人に味あり 味に人あり」。
今回のゲストは、「霊源院」の住職・雲林院 宗碩(うんりんいん そうせき)さん。
修行と継承、そして進化について、住職と料理人による深いお話が繰り広げられました。



塔頭(たっちゅう)…寺院の境内にある個別の小院のこと。





―――ふたりの出会いは?

雲林院 宗碩(以下、雲):「霊源院」は「祇園 さゝ木」さんの近所ですから、挨拶をし始めるうちに、「座禅をしにおじゃましてもいいですか?」、「もちろんです」ということになり。

佐々木浩(以下、佐):座禅の体験に、弟子たちを連れて伺いましたね。住職さんが「喜んで」と受け入れてくださったのは嬉しかったです。そこから、もしよければお寺で料理を作ってほしいと仰って頂いて。「そら面白いですね!」と寺院のなかで料理をさせて頂きました。

雲:蛍の鑑賞会など、なにか会がある際、お世話になっています。

佐:普段は非公開の寺院ですから、その場所で料理をさせて頂けるのは大変光栄ですよ。

修行と食

佐:まずは、お寺の修行についてお聞きしたいですね。

雲:佐々木さんは長年、京料理を作り続けておられるでしょう。我々は修行時代、必ず精進料理を作ります。霊源院の横には道場があり、全国から若い修行僧がやってきます。じつは敷地内に広大な畑があり、皆で耕しているんですよ。

佐:この境内に畑が?本当ですか!?

雲:じつは自分たちが食べる野菜を買いに行くことはできません。修行には自給自足が必須。左京区にある京都乗馬クラブで馬糞を分けてもらい、畑に石灰などと共に入れて、野菜を育て、できたものを頂きます。自給自足の生活をしますと、先人は皆がこうして、苦労をして食物を育てていたのだと実感します。そして大切に、皮やヘタまで残さずに使おうという気持ちになります。

佐:住職さん、ウチの若い子たちを修行させてもらえませんか?(笑) 皿洗いの前に、まずは野菜を作るところから。道場で寝泊まりさせてもらい。本当に大事なことだと思います。

雲:旬の野菜というのを、体で覚えることができますね。

日本ならではの「五季」

佐:日本には5つの海流が通っています(対馬海流、千島海流、親潮、黒潮、リマン海流)。だから、暖冬などの影響で多少変化はありますが、その時季ならではの魚がやってくる。さらに。日本には「四季」ではなく「五季」というものが存在します。5月を初夏として、梅雨の後に本格の夏という考えです。梅雨もそうですが「水」がとても大事で、その恵みにより育つお米が、日本人にとってのメインディッシュ。さらには五季を通して野菜も作る。また、発酵という食文化により米は酒になり、大豆から醤油や味噌ができる。それらを昔から食べ続けてきたから、時代が変わっても日本人の体に合いますし、それらの食文化があればたとえ100年の鎖国があったとしても耐えうることができるのではないでしょうか。それこそが日本本来の姿です。今の時代は恵まれすぎていて、平和ボケのような気がしてならないんです。

雲:佐々木さんが仰ること、よく分かります。じつは修行道場には冷暖房がありません。冬は凍えるくらいに寒く、夏はとても暑い。そのようななか、夜は18時から0時頃まで、縁側で座禅をします。私達の修行時代は0時半まで。そして起床は朝の3時半。自然というものはなんて厳しいものなのか、身をもって感じます。

佐:お寺の修行とは、本当に厳しい世界ですね。

雲:畑仕事はもちろん、樹木の剪定や土木工事もしますよ。一人で寺の生活でがきるようにというのが、建仁寺のコンセプトです。皆、最低3年は修行をします。佐々木さんも、佐々木農園をされたらいかがですか?(笑) 佐々木さんが作った野菜をお客様が食べられるというのは、とても値打ちがありますよ。

佐:本当ですね。弟子たちのいい経験にもなりますし。境内の畑を借りようかな?(笑)

禅寺と和食の世界の、伝統と進化

佐:料理の世界は伝統はもちろん、進化も必要とされています。お寺さんは、進化というものを求めるのでしょうか?あるいは伝統に則り、それを継承していく?

雲:「進化しなさい、留まっていては朽ちていく」という考えがあります。お寺はもともと、最先端の文化が生まれる場所でした。たとえば俵屋宗達の《風神雷神図屏風》です。水墨画ばかりだった禅寺に、金箔の屏風を置きだしたのは当時の進化です。また、千利休が禅寺と関わり、茶道が誕生した。400年以上も前から、お寺、そして絵師など芸術家がコラボレーションをしています。それをバックアップするのが商人であり、場所提供がお寺。そうして文化が生まれてきたのです。

佐:その時代にもコラボというものが存在し、どんどん活性化していくのがお寺の役割だったんですね。

雲:そうなのです。もちろん伝統は守っています。たとえば夜中の2時にお経をあげるなど、昔から続くことは継承しています。新しいものを取り入れながらも、本流ですべきことはしっかりと行う。そのスタンスが大事です。

佐:和食も同じことが言えますよ。「ここだけは動かしたらアカン」という伝統をふまえた上で、時代に合わせて進化をし続けないと。

雲:基本がなければ新しいことはできません。しっかりとした土台がないと、ビルの屋上はできませんからね。

佐:そう考えると、お寺と和食の世界には共通項がすごくあります。しかも、僕たちはいい時代に生まれたと思います。昭和から平成にかけて生まれた人間は、いろんな経験ができているんじゃないかな。

雲:お坊さんも同じことを考えていますよ。今はね、膨大な量の教典もすべて訳されていて、私達は読むことができますから。先人が分からなかったことも、教典をみてすぐ知ることができるんですよ。昔の人は知りたくても分からず、自ら命を絶つお坊さんもいました。今は本当に有り難い時代だと思います。しかし、知識だけを身に付けても駄目なのです。厳しい修行をふまえることが重要です。

後継者になるべき者とは

佐:今年、55歳になるのですが、この世代になると弟子たちにどれだけ伝えることができるかを考えるように。なんかオッサンになってきましたね(笑)。

雲:禅寺には、後継者を選ぶ際、このような言葉があります。「自分と同程度の人を後継者にすると寺が廃れる。自分より優れたものを後継者にせよ」という考えです。「鉄のように打って打って打ちまくり、それでも這い上がってくる人間を後継者にしなさい。しかも100人の愚かな弟子よりも、1人の後継者がいればそれでいい」。そのような伝統的な考えが存在します。佐々木さんと同じレベルに到達することが難しいかもしれませんが…(笑)。「見、師に過ぎて初めて伝授するに堪えたり」とよく言います。弟子が師匠の見識を上回ってこそ認められる。

佐:いい言葉ですね。100人は要らない。たった1人の存在が、次の時代を切り開いていく。

雲:大変厳しい修行で知られる中国の僧「ホウオン」のエピソードがあります。禅寺では入門の際、玄関で頭を下げ続けます。和尚さんが出てきて、彼らに冷水をかけました。冬の寒い時期にですよ。皆は「あの和尚は人格的に問題がある」と逃げましたが、ホウオンだけが「何か考えがあるのでは」と我慢。しかし入門はしたものの、毎日が地獄なんです。睡眠時間は1時間。寺院の畑で採れた野菜しか口にできないけれど、2月だから何も育っていない。栄養失調のなか、殴り蹴られるのも修行でした。あるとき、和尚が街へお参りへ。そのとき、ホウオンは蔵から「油麺」という食材を出し、修行僧たちと味わいました。これで今日だけでも生き延びることができるのです。その時でした。和尚が帰ってきて、激怒したのです。「油麺をだしたのは誰だ?」と。ホウオンは言いました、「私です」と。すると和尚は「油麺代を払え!托鉢して金を稼いでこい、出ていけ!」と言い放ったのです。ホウオンはお金を貯めて帰ってくると今度は、「お前は野宿していたな。あの場所は寺の土地だから野宿代を払え!」と和尚。ホウオンは雪のなかを歩き続け1週間かけて再び托鉢をして、金銭の施しを受け、持ち帰りました。門前に立つ、足元がフラフラのその姿をみた和尚は、若い僧侶たちに「皆の者、集まれ。今からこの寺の、私の後継者を紹介する」とホウオンを紹介。「よくぞ、お帰りになられました」と皆に出迎えられたのです。

佐:素晴らしいお話です。和尚さんはホウオンのことを見抜いておられたのですね。

雲:建仁寺の管長・小堀泰巌(こぼり たいがん)老師も、そのようなおひとりです。前の管長から認められた、たった1人の後継者でした。じつは私が、霊源院の住職になったとき、初めて、小堀泰巌管長からある書をもらいました。

「刻苦光明必盛大也」
苦を刻めば光明必ず盛大也(くをきざめばこうみょうかならずせいだいなり)。

「禅関策進」(ぜんかんさくしん)という教典がありましてね。その中の言葉です。ある和尚さんが夜中に座禅をしていたところ睡魔に襲われ、「寝てたらいかん!」と、錐(きり)の先を自らの足に刺しました。要するに、自分で苦しまないと道は開けない。人はだれも助けてくれない。さらには、見て盗み取れという考えですね。教えてもらうと、教わった人を超えることはできないのです。

佐:和食も同じ考えがありますよ。

雲:泥棒に合っても取られないものを身につけろ。それが自身の経験値になるのです。佐々木さんの料理の腕は、どんな泥棒も盗むことができない。苦労されて編み出された技ですから。

佐:でも、今の時代、弟子に厳しすぎると辞めていく場合も。抑え込みすぎるとひとりひとりの発想も萎縮させてしまうと思い、ある程度、喋り合えるところまでハードルを下げています。

雲:しかしながら、1を聞いて10を知る。大将から1を聞いたときに、用意も準備も素早くこなし、「おやっさん、どうぞ」と言われるくらいにしておかないといけません。そうなるためには、自我を捨てないといけません。じつは自我と慈悲は反比例します。自分が、自分が…という自我を持っていると、人やまわりのことに気付かなくなる。一方、その自我がなくなると、慈悲が出てきます。そのために、自我を滅却する修行をしていくと、すいすいと何にでも気付くように。先輩がやることを先回りできるようになるのです。

佐:住職さん。僕の弟子たちの前で1時間、説法を聞かせてください(笑)。

雲:師匠が言うまでに自然と体が動く。それができるようになるのが、修行の道です。

佐:僕の日々の仕事にも通ずる、大変有り難いお話です。住職さん、本日は誠にありがとうございました。





霊源院住職 雲林院 宗碩さん  (うんりんいん そうせき)
臨済宗大本山建仁寺塔頭霊源院住職。1976年京都市左京区生まれ。1999年に花園大学卒業後、建仁寺派西来院にて得度。小堀泰巌老師のもとで修行を経て、2012年に臨済宗連合各派布教師を拝命。以後、臨済宗をはじめ、多くの檀家信徒の皆様のため、全国各地へ布教伝道に勤しむ。2012年に建仁寺塔頭霊源院住職を拝命。多くのTV番組にも出演するなど、他方面で活躍している。
取材日:2015年  12月 21日