弥生の椀 第3回

「蛤射込みしんじょう」


蛤射込みしんじょう
春の訪れは「ひなまつり」である。
本来は旧暦の3月3日がその日であり、ようやく暖かさが忍び寄り、桃の小さな蕾が開き始める頃から
「桃の節句」とも呼ばれるようになった。
各家庭では、ひな壇におひな様を飾る。そのひなまつりには貝を供えるのが昔からの風習である。
それも蛤を供える。
二枚貝の蛤は「女の子」を象徴するものであり、またぴったり重なり合うことから
「女性の美徳や幸せ」につながるとされ「夫婦円満」を願うものといわれる。
「そんな思いから、3月は蛤の椀に仕立てました」と佐々木浩は笑みを浮かべながら話す。
まずは蛤を茹でる。つぎは貝殻に白身魚のすり身を入れ、再び蛤を乗せすり身でかるく覆う。
これを一旦蒸し上げ、すり身にもきちんと火を通す。
あとはひな壇のように化粧を施し、蛤を湯がいたときの出汁を一番出汁に加えた液体を椀に注ぐ。
これで完成である。
今月の椀は蓋に梅の様子が見てとれる。
その蓋をあけると、桃の節句をイメージする蛤のしんじょうが現れるという仕掛けである。
日本料理は季節感を尊ぶ料理ともいえる。
それは単に旬の食材を使うということではない。それは当然のことながら、器、設えにまで
気を配ってこその料理であり、それを伝えるのが優れた料理人の仕事なのである。
日本の懐石料理に「三つのキ」という言葉がある。季節の「キ」、器の「キ」、機会の「キ」という意味だ。
この「蛤の射込みしんじょう」という椀は、春という季節、梅の文様を写した器、
ひな祭りという機会を見事に描き切った料理。
蓋を開け、まずは香りを楽しむ。そして出汁を少し口にふくむ。
蛤から出た出汁は非常に濃厚であり、少量ながらもかなりのインパクトを感じてしまう。
続いて蛤のしんじょうを味わう。
これもまた出汁の味わいと渾然一体となって、口のなかで幾重もの旨みが生まれる。
飲むと食べるの連続で、つい笑みがこぼれてしまうほどだ。
「椀はいちばん季節感を表現しやすいのですが、やはり自分なりの表現方法を考えるのが楽しいです。
もちろん、蛤もいちばんおいしくなる頃ですから、この椀は僕も好きです」と佐々木浩は自信を持って語る。
佐々木が語り、そして料理が語る。
「祇園ささ木」の楽しさが見事に現れた一椀であり、それを味わう幸せもまた格別である。